【グリーンランド氷原 8月20日】
本日、探検家・植村直己氏が犬ぞり単独でグリーンランド氷原の横断に成功した。西岸の氷河末端から内陸台地へ上がり、吹雪の停滞を挟みながら、日々の方位測定と速度計算で針路を維持。橇には食糧と燃料、修理具と観測器材を積み、犬の体調に合わせ行動時間を細かく調整した。クレバスの口はロープで偵察し、停滞日はテント壁を掘り増して風を避け、金具と橇脚を煤だらけの指で直したという。
終盤、風紋の硬い面に乗って行程は伸び、東岸の黒い岩稜と潮の匂いが現れると、隊主は無言で犬の首を抱いた。独力で結んだ一本の線は、技術と胆力の結晶である。極地行の標準を塗り替える快挙は、次の世代の羅針盤となろう。支援者は「最小の装備で最大の成果」と称え、氏は静かに犬へ感謝を述べた。
今回の横断では、天測と無線の併用で位置誤差を抑え、食糧の消費曲線を前倒しで管理したことが奏功した。雪面の結晶が変わる音で天候の移ろいを読み、犬の呼吸と足の運びで気温の谷を察する。白の寂寥は孤独を映すが、橇の軋みと犬の息づかいが心を保ったという。東岸での最終キャンプでは、空の色が群青から乳白へ変わるまで焚き火を見つめ、凍てついた靴紐を解いた。
氷原に残るのは、橇の轍と犬の爪跡、そして地図に引かれた細い線だけだ。だがその線は、これから極地を目指す者の道標になる。装備も資金も最小限に絞り、判断と技量で穴を埋める方法論は、極地探検の古典に連なる。氷の大陸に刻まれた爪痕の列は、やがて風に消える。それでも今日、地図の上には確かな線が一本増えた。
— RekisyNews 探検・冒険面 【1978年】