【京都 8月21日】
本日、朝廷は源頼朝に征夷大将軍の官を授ける旨を宣し、使者が鎌倉へ発った。長く東国の治安と軍政を担ってきた頼朝の指導体制が、公的な官途によって裏付けられた形である。京の公卿の間では「軍事・警察の統率を委ね、諸国の乱を鎮めしむ」との評が聞かれた。
宣下は諸国の武士と荘園領主に広く示達され、今後は将軍の名において警固・逮捕・動員が命ぜられる見通しだ。すでに各地では守護・地頭の補任が進み、検断や年貢輸送の警備が強化されている。海道の要地には関所が整えられ、治安の引き締めが図られるという。
鎌倉では政所・侍所・問注所が相互に働き、訴訟・軍政・財政の機能が整いつつある。今回の任官により、その権能は朝廷の公認のもとで一段と明確化され、土地争論の裁断や所領目録の整理が加速するとみられる。東国の御家人からは「公私の秩序が定まる」と安堵の声が上がった。
一方、京では貴族社会への影響を案じる向きもある。ある廷臣は「武の力を官途に繋ぎとめ、礼の枠内に置くことが肝要」と語り、儀礼と実務の均衡に注意を促した。財政や軍役の負担をめぐり、朝廷と鎌倉の折衝が増える可能性も指摘される。
海道を急ぐ宣旨は、やがて鎌倉の将軍館で披露される。武家の政がいかなる法と礼で国を治めるのか―新たな局面を迎えた国のかたちに、諸国の視線が注がれている。
— RekisyNews 政治・人事面 【1192年】