後白河法皇、平家追討の院宣を下す 源氏に追討を命令

 【京都 8月17日】

本日、院政を敷く後白河法皇は、都を追われた平家一門を討つよう正式に命ずる院宣を下した。これは、源義仲が軍を率いて入京し、平家が安徳天皇を奉じて西国へ退去した情勢を受け、朝廷の名において平家討伐を宣言するものとなった。

院宣は、平家が長年政権を握り、朝廷を左右してきた専横を厳しく断じ、国家安泰のためにはこれを排除すべきだとする内容である。受け手となったのは、義仲をはじめとする源氏勢力で、これにより源氏の軍事行動は朝廷の正統な命令として位置付けられることになった。

宣旨が伝えられると、義仲の陣営では歓声が上がり、「今や戦は我らの大義」として兵士たちの士気は大いに高まった。京の市井でも「これで平家の専横は終わるのか」と期待の声が広がる一方、「都に再び戦火が及ぶのでは」と不安を口にする人々も少なくない。

一方で、平家は西国においてなお強大な勢力を保っており、海路を押さえる軍事力も健在である。法皇の決断が、直ちに平家の滅亡につながるわけではなく、今後の戦局はなお流動的だ。

今回の院宣は、朝廷が公然と源氏を後ろ盾とする姿勢を鮮明にしたことを意味し、政治の主導権をめぐる攻防は新たな段階に入った。

— RekisyNews 政治・社会面 【1183年】

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