西郷隆盛、月照とともに錦江湾へ入水――月照は死亡、西郷は救助される

月照

【薩摩国鹿児島 12月20日】

薩摩藩士の西郷隆盛が、京都清水寺の僧侶・月照とともに錦江湾へ身を投じた。この入水は、幕政を巡る緊迫した情勢の中で起きたもので、月照は帰らぬ人となったが、西郷は漁民らにより救助された。

月照は、朝廷と幕府の対立が深まる中で尊王攘夷の立場を取り、弾圧の対象となっていた。西郷はその身を案じ、薩摩へと迎え入れていたが、幕府からの追及が厳しさを増すなか、両者は進退窮まった末に行動を共にしたとみられる。この入水は、政治的圧力と思想的信念が交錯した末の決断として、周囲に大きな衝撃を与えている。

錦江湾での出来事の後、西郷は意識不明の状態で引き上げられ、辛くも一命を取り留めた。一方の月照は救助が及ばず、そのまま亡くなった。月照の死は、朝廷派の人士の間に深い悲しみと憤りを広げている。

今回の事件は、幕末の政局がいよいよ緊迫の度を増していることを象徴する出来事であり、西郷の今後の処遇と薩摩藩の動向が、政局の行方を左右する要因となる可能性がある。動乱の時代は、さらに大きな転機を迎えつつある。

— RekisyNews 政治面 【1858年】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次