応仁の乱、ついに終息へ──大内政弘が周防へ撤兵

【山城・京都 12月16日】

長きにわたり京の都を荒廃させてきた戦乱が、本日ついに大きな区切りを迎えた。西軍の主力であった 大内政弘が周防国へ撤兵し、東西両軍がにらみ合いを続けてきた応仁の乱は、事実上の終結を迎えた。11年に及んだ争いに疲弊した都では、武装兵が撤収していく様子を遠巻きに見守る町人の姿があり、安堵と虚脱が入り交じった空気が漂っている。

政弘軍は当初、将軍家内部の対立や守護大名の思惑が絡む混乱の中で京都に拠点を置いていたが、近年は兵糧の不足や領国経営の逼迫が深刻化。西軍諸将の間でも統制が揺らぎ、もはや京を保ち続けることは困難との判断に至った。関係者によれば、政弘は「これ以上の戦は民をさらに苦しめるだけ」として撤兵を決断したという。

都では、各地から集められた兵が次々と帰郷しており、路地には壊れた家屋や焼け跡が残されている。祇園の商人は「この十余年、客も絶え、家族を失った者も多い。静かな暮らしが戻ってほしい」と語り、寺院の僧侶は「争いの炎を沈めることが、人の務めである」と祈りを捧げた。

今回の撤退はあくまで事実上の終息であり、将軍家の権威低下や守護同士の対立といった根本の問題が解決されたわけではない。専門家の間では、この乱によって武家社会の秩序が大きく揺らぎ、今後さらなる戦乱の時代へつながる恐れがあるとの見方も強い。

— RekisyNews 歴史面 【1477年】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次