【旅順郊外 12月5日】
本日午後、日本軍は旅順攻囲戦における最大の難関とされてきた 203高地(にまるさんこうち) をついに占領した。激しい砲火と白兵戦が数日にわたり続いた末の制圧であり、軍内部では「全戦局を左右する転機」との声が上がっている。
203高地は、旅順港を一望できる標高約200メートルの丘陵で、ここを制することで港内のロシア艦隊の位置を直接観測できる。ロシア軍もその重要性を深く認識し、塹壕・鉄条網・要塞砲を配置して徹底的に守りを固めていた。
日本軍は第三軍の乃木希典大将の指揮のもと、十一月下旬から総攻撃を敢行。しかし、岩盤を利用した強固な陣地に阻まれ、多くの死傷者を出しながらも突破できず、戦況は膠着していた。
転機が訪れたのは三日夜から今朝にかけてで、歩兵連隊が崖面から斜面をよじ登り、夜陰に紛れて敵塹壕へ肉薄。夜明けのころには頂上付近で激烈な白兵戦が展開され、正午過ぎ、日本軍はついに高地の完全掌握を宣言した。
ある将校は「これほど苦しい戦いはなかった」と語り、別の兵士は傷だらけの手で銃を握りしめながら「仲間の犠牲を無駄にしたくない」と涙をこらえた。山頂付近には砲弾の痕が無数に残り、倒壊した塹壕と焼け焦げた土が戦闘の激しさを物語っている。
高地占領により、日本軍はついに旅順港内のロシア艦隊を視認できる位置を確保した。これにより、海軍と連携した 観測射撃が可能となり、旅順要塞全体への圧力が飛躍的に高まる とみられる。軍幹部は「今後の砲撃は決定的な打撃となるだろう」と語った。
ただし、甚大な損害は避けられなかった。前線の医療所には担架で運ばれる兵がひっきりなしに押し寄せ、衛生兵は血に染まった包帯を取り替えながら「これが戦争の現実だ」とつぶやいた。
今日の203高地占領は、旅順攻囲の核心に迫る重大な一歩であり、戦局は今、大きな転換点を迎えている。
— RekisyNews 国際面 【1904年】
