【江戸・高輪原 12月4日】
本日未明、江戸幕府は禁教令に基づき、信仰を捨てることを拒んだキリシタン33名を高輪原にて処刑した。寒風が吹きつける早朝、現在の札の辻付近に設けられた刑場は緊張に包まれ、近隣の町には重苦しい空気が漂った。
高輪原には夜明け前から多数の奉行所役人と警固が配置され、人の出入りは厳しく制限された。近隣の住民は「夜のうちから人足の足音が絶えず、何か大事が起きるのだと分かった」と語り、ただならぬ空気を感じ取っていたという。
今回処刑された33名は、日本人信徒だけでなく、宣教師や修道士を含む多様な立場のキリシタンたちである。いずれも長期の取り調べの中で“棄教”を強く迫られたが、最後まで信仰放棄を拒んだとされる。幕府は「異国の宗教が治安と国体を乱す恐れがある」として厳しい姿勢を崩しておらず、今回の処刑は禁教政策強化の象徴と受け止められている。
刑場では、信徒たちが互いに祈りを捧げる姿が見られたという。立ち会った下役は「恐れを見せる者はおらず、むしろ静かで揺るぎない覚悟があった」と証言した。現場近くの町人は「寒さの中でも表情が穏やかで、見ているこちらの胸が締めつけられた」と語り、感情を押し殺しながら処刑の様子を見守ったと振り返った。
処刑後、遺体はすぐに幕府の指示で処理され、周囲一帯は封鎖された。江戸市中では「取り締まりはますます厳しくなる」「密告が増えるのでは」と不安の声が広がり、長屋では家族同士で互いの行動を確認し合う姿も見られる。武家屋敷の間でも、異国宗教への警戒を一段と強める動きが出ている。
今回の“江戸の大殉教”は、幕府の禁教政策がさらに硬化する転換点となった。信仰のために命を落とした33名の殉教は、市井の人々に深い衝撃を与え、江戸の記憶に長く刻まれる出来事となった。
— RekisyNews 社会面 【1623年】
