香川県、本日ついに独立県として発足──愛媛県からの分割で“全国の都道府県区画”が確定

【松山・高松 12月3日】

本日、政府は四国地方の行政区域を改定し、愛媛県から讃岐地域を分割して香川県を正式に発足させた。これにより、全国の都道府県の区画が出そろい、現在の日本を形作る行政区分が事実上確定した。明治政府による一連の府県統合と再編が続いてきた中で、今回の分割はその最終段階に位置付けられる。

香川県は、かつて“讃岐国”として知られた地域であり、1873年に一時「香川県」として発足したのち、1875年に愛媛県へ統合されていた。今回の独立は13年ぶりの再設置となり、住民の間には「ようやく地元の名が県として復活した」と喜ぶ声も多い。高松の商家の主人は「讃岐の名が再び立つのは誇らしい。行政の目が行き届きやすくなる」と語った。

分割の背景には、讃岐地域における人口・経済規模の拡大や、行政の便宜を図る目的があるとされる。政府関係者は「四国全体の均衡ある発展のためにも、地域ごとの実情に応じた行政運営が必要」と説明し、農業、海運業、商業などで独自の発展を続ける讃岐地域を独立行政区として扱うことの妥当性を示した。

一方、愛媛県では分割に伴い県庁機能の整理が進められており、松山の官吏は「長年ともに歩んだ地域が離れるのは寂しいが、各地がそれぞれに発展することが国の力になる」と述べた。両県境の地域では役所や学校の管轄変更の案内が掲示され、住民は新しい行政区分への対応に追われている。

高松城跡周辺では、香川県の再発足を祝うように地元商店が灯りを掲げ、夕方には多くの市民が集まり「香川県再び」の声を上げた。讃岐うどんの店主は「これを機に県全体がもっと元気になれば」と笑顔を見せた。

これにより、北海道から沖縄県に至るまで、今日をもって日本全国の都道府県区画が確定することとなった。明治維新以降の府県置き換え、統廃合の流れにひとつの区切りがついた形であり、行政制度は次の段階へと進むことになる。

— RekisyNews 社会面 【1888年】

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