ヘーシンク、ついに日本勢を破る──世界柔道選手権、曽根康治を下し欧州勢初の王者に

アントン・ヘーシンク

【パリ 12月2日】

本日、パリで開催中の1961年世界柔道選手権大会において、オランダ代表のアントン・ヘーシンク選手が日本代表の曽根康治選手を破り、優勝を果たした。世界選手権が始まって以来、王座は常に日本勢が保持してきたが、その歴史が本日ついに覆された。柔道発祥国・日本にとって衝撃的な結果となり、会場は静まり返るほどの緊張に包まれた。

決勝戦は午後、満員の観客が見守る中で行われた。身長約198センチの巨躯を誇るヘーシンク選手は、開始直後から落ち着いた組手で間合いを制し、曽根選手はなかなか得意の技へ持ち込めなかった。試合中盤、ヘーシンク選手が体格差を生かして押し込み、曽根選手を大きく崩すと、そのまま抑え込みに入り、決定的な一本(抑え込み)で勝負を決めた。

場内には驚きの声が上がり、日本応援団からは落胆のため息が漏れた。一方、欧州各国の観客は総立ちとなり、ヘーシンク選手の快挙に拍手を送った。試合後、曽根選手は「完敗でした。彼は強かった」と潔く語り、ヘーシンク選手は「今日は自分が最も集中できた日。日本の強さを尊敬している」と謙虚に述べた。

日本柔道界はこれまで、国際大会で圧倒的な強さを誇ってきた。しかし今回の敗北は、世界の競技レベルが急速に向上していることを示しており、柔道の国際化がいよいよ現実のものとなった形だ。大会関係者は「日本の技術を学び続けた欧州選手がついに頂点に立った。世界柔道の新しい時代が始まった」と語る。

日本代表団関係者は「この敗戦を受け止め、さらなる鍛錬が必要」と述べ、悔しさをにじませた。一方で、多くの若い選手たちは「強敵と競い合う時代が来た」と刺激を受けており、帰国後の強化に期待が高まっている。

本日の結果は、日本柔道界にとって痛恨の敗北であると同時に、柔道が世界的競技として成熟しつつある証でもある。王座が初めて日本を離れた歴史的瞬間は、パリの大会場に固い静寂と大きな拍手を同時に残した。

— RekisyNews スポーツ面 【1961年】

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