画家ドラクロワ氏、パリで死去 ロマン派の旗手、その色彩美に惜しむ声

 【パリ 8月13日】

フランス画壇を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワ氏が、本日未明、パリ市内の自宅で息を引き取った。享年65。近年は慢性気管支炎に苦しみながらも制作を続けていたが、今夏に入り病状が悪化し、静養の末に力尽きたという。葬儀は家族と親しい友人のもと、サン=トーマ=ダカン教会で営まれる予定。

ドラクロワ氏は1798年シャラントン=サン=モーリス生まれ。1820年代に歴史画『キオス島の虐殺』で注目され、以後『民衆を導く自由の女神』『サルダナパールの死』などで、劇的な構図と豊かな色彩感覚を特徴とする作風を確立した。彼の筆致は、同時代の写実主義とは一線を画し、情熱と感情表現を重んじる新しい潮流を築いたとされる。

1830年代からはモロッコやスペインを旅し、異国の風物や光の効果を研究。後年の作品や装飾画には、旅で得た鮮やかな色彩感覚と動的構図が生かされた。パリ市庁舎やルーヴル宮殿の装飾壁画など公共空間にも多くの作品を残し、市民の目を楽しませてきた。

美術界からは早くも追悼の声が相次いでいる。批評家は「彼の色彩は音楽のように響き、情感の高まりを画面に刻みつけた」と評し、若い画家たちは「光と影の対比、筆の勢いを学んだ」と口をそろえる。

その芸術は国内外の画壇に強い影響を与え、後進の印象派や象徴主義にも連なるとみられる。ドラクロワ氏の逝去は、フランス美術における一時代の終焉を告げる出来事となった。

— RekisyNews 文化部 【1863年】

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