徳川光圀公が隠居──水戸藩政は世子・綱條へ承継

【水戸 11月14日】

水戸藩主・徳川光圀公(通称・水戸黄門)は本日、隠居を表明し、藩主の座を世子・徳川綱條(つなえだ)に譲る旨を家中に通達した。光圀公は寛文元年(1661年)より満29年にわたり藩政を担い、元禄3年11月14日(1690年)をもって政務から退く。

隠居時の光圀公は数え年で63歳。第2代水戸藩主として、徳川御三家の一翼を担うとともに、史局「彰考館」を創設し、『大日本史』の編纂事業を推進。歴史や儒学の振興を通じて、藩士の教養育成に尽力してきた。

後継となる徳川綱條公は、光圀の異母弟・松平頼元の子で、養嗣子として迎えられていた人物。藩政経験と温厚な人格で家中の信任も厚い。

光圀公は政務から退いた後も水戸城下にとどまり、彰考館での歴史編纂事業に専念する見通しである。水戸藩政は、綱條公のもとで安定的な継承が進められることが期待されている。

— RekisyNews 政治面 【1690年】

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