【若松(会津) 11月6日】
新政府軍と旧幕府勢力の激戦が続いていた会津戦争は、本日、会津藩が正式に降伏し終結した。ひと月以上に及ぶ籠城戦の末、会津若松城(鶴ヶ城)に白旗が掲げられ、戊辰戦争の大勢はこれで新政府側の勝利として決定的となった。
藩主松平容保は重臣らと協議の末、領民の被害拡大を避けるため降伏を決断。正午過ぎ、家老の西郷頼母らを通じて新政府軍に降伏の意を伝えた。午後には、戦火に包まれていた若松の城下も静まり返り、砲声が止んだ。市中には焼け跡の煙が立ち上り、民家や寺院の多くが焼失した。
会津藩は今年8月から新政府軍の攻撃を受け、9月には大鳥圭介率いる旧幕府軍が敗走。以降、孤立無援の籠城を続けてきた。兵糧は尽き、負傷者が増える中、藩士や町民は最後まで城を守り抜いた。特に、若き白虎隊士たちが飯盛山で自刃した悲報は、藩内外に深い衝撃を与えていた。
降伏にあたり、松平容保は「会津の名を汚すことなく尽くした。あとは民を救うのみ」と語ったと伝えられる。新政府軍は降伏を受け入れ、藩主および家臣の処遇を慎重に検討する方針を示した。藩士の多くは武装解除され、城下には官軍の部隊が入城した。
秋の寒風が吹く鶴ヶ城の堀には、砲弾の跡とともに戦の爪痕が残る。民衆は沈痛な面持ちでその姿を見つめながら、「もうこれ以上の戦はないだろう」と口にした。五年にわたる動乱を締めくくるこの降伏により、旧幕府勢力の抵抗はほぼ終息し、新たな時代の幕が静かに開かれようとしている。
— RekisyNews 政治面 【1868年】
