東部戦線で大規模会戦 ロシア・オーストリア連合軍、プロイセン軍を撃退

 【クネルスドルフ近郊 8月12日】

オーデル川東岸の高地一帯で本日、フリードリヒ二世率いるプロイセン軍(49000)と、ロシア帝国・オーストリア軍の連合軍(71000)が激突した。数時間に及ぶ激戦の末、プロイセン軍は大損害を被って退却し、連合軍が戦場の支配権を握った。東部戦線における戦局は大きく揺らぐ見通しだ。

開戦は午前遅く。プロイセン軍約5万は乾いた丘陵地を越えて連合軍陣地へ進撃し、右翼から包み込む形を狙った。連合軍は約7万の兵力を配置し、ロシア軍が中心に陣取り、オーストリア軍が左翼を固めた。プロイセン軍の砲撃は初動で優位を築いたが、連合軍は高地と湿地を活かして防御を維持した。午後に入ると、騎兵の突撃と銃撃戦が入り乱れる総力戦となった。

正午過ぎ、プロイセン軍右翼が連合軍左翼を押し込みかけたが、疲弊と補給不足が影響し、勢いが鈍化。その隙を突いてロシア軍中央が反撃に転じ、オーストリア騎兵が側面から突入した。激しい白兵戦の中、プロイセン軍は隊列を維持できず、夕刻には戦場全域で後退が始まった。

戦場には砲や銃剣、破損した軍旗が散乱し、負傷兵の救護が夜を徹して行われている。現地の農民は「丘の上は死体で埋まり、砲煙で日がかすんだ」と戦闘の惨状を語った。フリードリヒ二世は少数の近衛とともに退却し、残存兵を再編中とされる。

今回の敗北で、プロイセンは東部での防衛線が脆くなり、ベルリン方面への圧力が強まる恐れがある。連合軍は追撃の可否を協議中で、戦局の主導権を握る好機とみている。

— RekisyNews 国際面 【1759年】

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