【デュッラキウム(現・ドゥラス) 10月18日】
本日、アルバニア西岸の要衝デュッラキウム(東ローマ名:ディュラキオン)近郊において、ノルマン人の指導者ロベルト・ギスカル公が率いる軍勢と、皇帝アレクシオス1世コムネノス指揮下の東ローマ帝国軍が激突した。歴史に残る大規模な野戦となり、両軍ともに多数の死傷者を出す激戦となっている。
ロベルト公は南イタリアから船団を率いてアドリア海を渡り、今夏からデュッラキウム包囲を継続。東ローマ側は皇帝自らが出馬し、同盟関係にあった西方の傭兵軍団やペチェネグ騎兵を動員してノルマン軍と対峙した。
戦闘は早朝より始まり、両軍の騎兵が激しく衝突。皇帝軍の西方傭兵(フランク人)が突撃の先陣を切ったが、ノルマンの重装歩兵と騎兵がこれを退け、逆に包囲反撃に転じた。さらに、ノルマン軍は皇帝軍の側面を突く戦術を成功させ、東ローマ側の陣形は崩壊した。
皇帝アレクシオス1世は命からがら退却。デュッラキウムは依然として包囲下にあり、ノルマン軍の圧力は今後さらに高まるものと見られる。
東ローマ帝国にとって、この敗北は西方防衛の大きな危機を意味しており、コンスタンティノープルでは民衆の不安が急速に広がっている。一方で、ノルマン勢力がバルカン半島全域へ進出する可能性も否定できず、西方と東方の勢力均衡が大きく揺らぎ始めている。
今後の帝国の対応と諸侯の動向が注目される。
— RekisyNews 国際面 【1081年】