【パリ 8月10日】
未明から蜂起を主導する新生コミューンが市庁舎を掌握し、各区の国民衛兵と連盟兵(マルセイユ、ブレスト)がチュイルリー宮殿前へ集結。前面に据えた砲で威嚇しつつ前進し、午前中に銃砲戦が始まった。宮殿側はスイス近衛と王党派義勇で防衛線を敷いたが、交戦の末に押し切られ、正午ごろ宮殿は陥落。死傷者は双方で数百名にのぼる見込みで、王都当局は負傷者搬送のため主要街路の封鎖を続けている。
国王一家(ルイ16世、マリー・アントワネット、王太子ら)は戦闘拡大を受け、早朝に立法議会(マネージュ)へ避難し議場の一角に保護された。やがて宮殿から響く砲声に、国王は紙片で「スイス近衛は武器を置き兵舎へ退け」と命令した。伝達後、守備隊は弾薬欠乏も重なって後退を開始したが、庭園側へ退く途中で隊列が分断され、多数が包囲・殺害された。指揮系統は、国民衛兵司令官マンダ侯の市庁舎前での殺害の報が走った時点で大きく混乱していた。
現場の激戦はカルーゼル広場と大階段周辺で発生した。近衛は突入部隊に一斉射撃で応戦したが、王族の議会退避後は実質的な統制を失った。正午前後、蜂起勢が宮殿内部を制圧すると、群衆が家具や絵画を手当たり次第に破壊した。混乱のさなか、劇場の舞台監督サンジェが近くの楽器を取り寄せて「ラ・マルセイエーズ」を弾き始め、周囲の者に合唱を促したという。怒号と破壊の空気は一転して高揚した宴会めいた雰囲気に変わり、群衆は一晩中、歌い踊って夜を明かした。治安当局は火の手や再衝突を避けるため警察を増強し、負傷者の救護と収容を優先している。
議会は非常会合を継続し、王権停止と新たな代表機関の招集など体制移行を審議。市内は依然として厳戒態勢で、夜間外出の自粛と市場・商店の休業が相次ぐ。国境方面の軍司令部は、王都の混乱が兵站と士気に与える影響を最小限に抑えるよう各部隊に指示した。国王一家は当面、厳重警備下での取り扱いが続く見通しだ。
— RekisyNews 国際面【1792年】