黄海海戦 旅順艦隊の突破失敗 連合艦隊が追撃、旗艦撃沈は免れるも司令官戦死

【遼東沖・黄海 8月10日】
ロシア帝国の旅順港に封鎖されていた第1太平洋艦隊が本日、ウラジオストクへの突破を図って出撃。東郷平八郎大将の日本連合艦隊と黄海上で会戦した。砲戦は日没まで続き、ロシア側は統制を失って四散。多くが旅順へ引き返し、一部は中立港へ退避した。封鎖は継続され、日本側の海上優勢は維持された。

12時58分、旅順艦隊の進路正面で西南西へ進んでいた第1戦隊(旗艦「三笠」ほか)は、左八点一斉回頭(90度左へ)で横陣を形成し、敵を外洋側へ誘引。続く13時8分、再度の左八点一斉回頭東北東へ向かう逆順の単縦陣に移り、南東へ転じかけた旅順艦隊に対して主砲の斉射を開始した。第1戦隊が北東へ向かった瞬間、旅順艦隊は南へ変針し、日本戦列の尾を抜けようとした。これに対し13時36分、第1戦隊は右16点一斉回頭(180度)で元の順序に復帰しつつ敵先頭を「丁字」を描いて遮断、旗艦「ツェサレーヴィチ」への射撃に集中した。
旅順艦隊はさらに左へ変針して南東へ走り、ふたたび第1戦隊の後尾突破を試みる。第1戦隊は追随の変針が一拍遅れ、東進に転じた旅順艦隊の南側で並航する形に。やがて距離が開いたため、15時20分ごろ一時砲撃中止となったが、この一連の機動で日本側は敵の突破針路を屈曲させ、以後の追撃局面につないだ。

夕刻、再開した砲戦のさなかでロシア旗艦「ツェサレーヴィチ」艦橋に命中弾が相次ぎ、ヴィトゲフト提督が戦死。旗艦は操艦を失い急転回、これに追従しようとした後続艦の隊形は乱れ、ロシア側の統制は崩壊した。日本側は距離を詰めて追撃したが、主力艦の撃沈には至らず、夜間は水雷戦隊が雷撃を試みるも決定打は与えられなかった。

日本側主力では「三笠」をはじめ複数艦が被弾しつつも戦列を維持。海軍省は「敵の外洋突破を挫いた戦略的勝利」と総括した。一方で長時間の砲戦で弾薬と機関に疲労が蓄積しており、補給・修理の迅速化が課題だ。

陸上では旅順要塞への包囲が継続中。港内艦隊の封じ込め成否が戦局の鍵を握る。軍事筋は「本日の機転で旅順艦隊の自由行動は当面困難になった。海上優勢を背景に陸上作戦が加速する」とみている。沿岸各地では漂流物の回収と負傷者の収容が夜を徹して続けられている。

— RekisyNews 国際面【1904年】

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