大森海岸で第1回水上競技大会――鵜飼弥三郎、豪州式クロールで百米を圧勝

【大森海岸 8月10日】
大日本体育協会主催の第1回水上競技大会が本日午前10時、東京府下・大森海岸瓦斯会社構内の海上特設コースで幕を開けた。京都を含む全国各地から100名余りの選手が集結し、「日本水泳界の標準競技会」を掲げた同大会は、100・200・400・800メートル自由形の四種目を各組五人以内に分けて複数ヒートで実施。慎重な計時体制のもと、午後6時にすべての競技を終えた。

最大の話題は横浜体育研究会の鵜飼弥三郎と萩原誠一郎の両選手である。100メートル自由形では、発砲合図の誤りによる再スタートという不利をものともせず、鵜飼が1分5秒1という海水コースでは驚異的なタイムを記録して優勝、淡水での五輪記録(1分2秒2)に肉薄して観衆を沸かせた。続く200メートルでは萩原がトップを奪い、鵜飼が二位に甘んじたものの、800メートルでは再び鵜飼が力強い泳ぎで首位を奪還。さらに、400メートル団体競泳でも両名を中心とする横浜勢が貫禄を示し、会場を埋めた見物客から大歓声が上がった。

鵜飼はレース後、「最新のオーストラリアン・クロールをさらに改良し、推進力を高めた」と胸を張り、その力強いキックと高い肘を保つフォームが日本水泳界の新たな指標となることを印象づけた。大会開会に際して主催者は「本大会を極東大会、さらには五輪へ続く強化ルートの礎とする」と語り、常設プール施設の整備と計時機器の改良を急ぐ方針を示した。

酷暑の海岸には冷やし甘酒やかき氷の臨時売店が立ち並び、終日、人波が絶えなかった。関西から観戦に訪れた水泳関係者は「海水コースでこれほどのタイムが出るとは、日本の泳法が一気に世界水準へ近づいた証左だ」と興奮を隠さなかった。

鵜飼と萩原が刻んだ記録は、日本水泳界が“海から世界へ”漕ぎ出す羅針盤となりそうだ。

— RekisyNews スポーツ面【1914年】

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