【イエナ近郊・アウエルシュタット 10月14日】
本日、神聖ローマ帝国崩壊後の新たな秩序を巡って欧州各国が揺れる中、プロイセン王国とフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの軍勢が中部ドイツにて激突。結果、プロイセン軍はイエナおよびアウエルシュタットの両戦場において壊滅的な敗北を喫した。
夜明け前から霧の立ち込めるイエナの高地にて、ナポレオン自ら率いるフランス大軍が進撃。優れた連携と大胆な機動により、プロイセン側の陣形を各所で突破。プロイセン軍は大規模な混乱に陥り、正午には総崩れとなった。
一方、北東に位置するアウエルシュタットでは、ルイ=ニコラ・ダヴー元帥の率いるフランス第3軍団(約2万6千)が、倍以上の兵力を有するプロイセン本軍(約6万人)を迎撃。数的不利をものともせず、組織的な縦深防御と集中攻撃により、カルル・ヴィルヘルム公率いるプロイセン本軍を撃退する。ダヴーの勇敢な指揮は現地の従軍記者や将兵から「鉄の元帥」と称賛された。
この日の敗北により、プロイセンは近代的戦術への適応の遅れと軍組織の硬直が露呈。老将たちによる旧来の戦法は、柔軟で迅速なナポレオン流戦術の前に通用しなかった。
なお、戦場には無数の死傷者と破棄された大砲、馬車が散乱し、現地住民は避難を余儀なくされている模様。ベルリン方面への進軍は時間の問題との見方が強く、王都防衛の要は既に崩壊しつつある。
ナポレオン帝国の勢力は、今回の勝利によりドイツ中部全域に広がる見通しであり、プロイセン王国の命運は今、大きな岐路に立たされている。
— RekisyNews 国際面 【1806年】