ピエモンテに激震、カール・エマヌエーレが苦境の中奮戦──マドンナ・デル・オルモの戦い

【クーネオ近郊 9月30日】

本日、ピエモンテ南西部の都市クーネオ郊外にて、サルデーニャ王国軍と、フランス=スペイン連合軍との間で大規模な戦闘が発生した。戦場となったのは「マドンナ・デル・オルモ(マドンナ・デル・アルモ)」と呼ばれる聖堂周辺の要地であり、オーストリア継承戦争の一環として激しい攻防が繰り広げられた。

連合軍を率いたのは、フランスのコンティ公ルイ・フランソワとスペイン軍の司令官であるドン・フェリペ王子(スペイン王フェリペ5世の子息)であり、今月上旬よりクーネオへの進軍を開始していた。これに対し、サルデーニャ王国のカール・エマヌエーレ3世は自ら前線に立ち、数で劣る兵力ながら防衛線を構築し迎え撃った。

戦闘は夜明けから始まり、丘陵地と狭隘な平地を利用したサルデーニャ軍の持久戦により、連合軍は一時的に足止めを強いられた。大砲と銃撃が交錯する中、両軍ともに甚大な被害を出す激戦となった。夕刻には戦線が膠着し、明確な勝敗がつかないまま終結を迎えたと見られる。

戦略的には連合軍のクーネオ包囲は続くものの、予想以上の抵抗と補給線の伸長により、攻勢の勢いに陰りが出てきた。これにより、ピエモンテの他都市では「王が陣頭で奮戦している」との報が広まり、士気が高まりを見せている。

一方、フランス・スペイン両国では、イタリア戦線における長期戦化の懸念が強まっており、外交・軍事の両面での調整が急がれる情勢となっている。

— RekisyNews 国際面 【1744年】

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