三成、佐和山に帰陣 清洲の福島正則を説得 成否で「三河侵攻」か「清洲攻撃」か/家康は江戸城へ帰還

【近江・佐和山 9月12日】

本日、石田三成が佐和山城に帰陣し、畿内方の奉行衆から戦況と使者往還の報告を受けた。報によれば、尾張・清洲城に入った福島正則の去就をめぐり、奉行衆は連日説得を続行中。働きかけが奏功すれば奉行衆の軍は直ちに三河へ侵攻し、徳川方の本国を圧して主力の西上を断つ構え。失敗の際は清洲そのものを攻撃目標とし、木曽・庄内両河口の渡しと土橋を押さえて城下に迫る二策が示されたという。

三成は諸将に対し、尾張口の主導権確保が第一と強調。正則は旧豊臣系の旗頭格で兵も錬れ、同人の翻意は東国大名の動揺を誘う「楔」になると見る。一方、清洲攻めとなれば長弓・鉄砲・攻城具の補充、河川増水期の渡渉対策、背後遮断に出る内府衆先鋒への備えが課題だ。前線からは「鳴海・熱田筋の舟手を押さえよ」「木曽川の渡守を味方に」という具体の要望も上がる。説得の使者は、豊臣家安堵と所領の再確認を記した起請文案を携え、清洲の重臣に縁故のある僧・町年寄を仲介に面談を重ねている。

一方、内府徳川家康は本日までに江戸城へ一時帰還。関東諸侯を召し出して軍監・留守居の人員を入れ替え、東海道・中山道の進発計画と兵站を再点検した。駿府・小田原からの火薬・鉛玉の前倒し集送、利根・荒川筋の舟運増発、伝馬の割当強化など、後続諸隊の“呼吸”を合わせる手当ても講じたという。家康は「関東の備えを固めたうえで西上を急ぐ」との意を示し、在番衆には城下の防火・籠城具備えまで細目を下した。

もっとも時間は奉行衆の味方ではない。伏見攻囲・陥落の消耗を埋める兵糧・弾薬の再配分や大垣—関ヶ原一帯の在地勢力との連絡線整備を、佐和山は同時並行で急ぐ。清洲の城門が説得で開くか、あるいは攻城の炎でこじ開けられるのか――分岐は目前である。いずれに転んでも、尾張口と江戸城の“二つの拠点”で整えられる兵站と指揮が、この秋の天下取りの勝敗を決める。

— RekisyNews 国内・戦況面 【1600年】

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