【長崎 9月18日】
昨日、出島から帰国の途にあったオランダ商館付き医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、幕府の禁制品である日本地図などを国外に持ち出そうとしていた事実が、船の座礁事故をきっかけに発覚した。
シーボルトは西洋医学に通じ、多くの蘭学者を育てた人物として広く知られており、その功績は学界のみならず諸藩にも及んでいた。しかし今回、幕府が厳しく禁じている日本の詳細な地図や測量資料、加えて藩士や学者たちとの私的な書簡類までが荷の中から見つかったことで、その信頼が大きく揺らいでいる。
発端は、台風の接近により出航予定だった船「アメリカ号」が長崎沖で座礁したことに始まる。荷の一部が浜辺に打ち上げられ、検分の結果、地図や文書類が見つかったという。これにより、長崎奉行は急遽出島内外の関係者を召喚し、事情聴取を開始した。
関係筋によると、地図の中には幕府の機密に相当する沿岸防備情報や藩境の詳細など、軍事的価値の高い資料も含まれていたとされる。既に、協力者とみられる複数の通詞や日本人学者にも捜査の手が及んでいる模様だ。
シーボルトは現在、出島にて軟禁状態にあり、幕府は1年にわたる取り調べの後、国外追放処分とする意向を固めた模様。これにより蘭学界への影響は避けられず、各地の門人たちにも激震が走っている。
長崎町の町民のひとりは「西洋の学問をもたらした恩人だったが、国禁を犯してまで持ち出すとは残念」と複雑な表情を見せた。
この事件は、知識と国防の境界線を問う事例として、今後の対外交渉にも影響を与えるものと見られている。
— RekisyNews 長崎面 【1828年】