朝倉義景、越前にて自刃──一乗谷城落城で名門・朝倉氏滅ぶ

【越前国一乗谷 9月16日】

越前国の戦国大名、朝倉義景(享年45)が本日未明、自刃によりその生涯を閉じた。織田信長軍による侵攻を受けていた一乗谷城がついに落城し、五代百年を誇った名門・朝倉氏は事実上の滅亡を迎えた

義景は、信長の盟友であった将軍・足利義昭に呼応し、上洛戦を指揮した経歴を持つが、近年は内政の混乱と信長軍の圧力により苦境が続いていた。信長軍は先月より越前へ進軍を開始、義景の本拠である一乗谷城を包囲。朝倉軍はこれに抗しきれず、義景は一族や側近とともに近隣の山間部に退避していたが、昨日ついに発見された。

本日早朝、義景は捕縛を避けるため、従者の助けを借りて自刃したとされる。享年45。切腹の地は大野郡の賢松寺付近と見られる。

一乗谷城は、かつて北陸随一の城下町として栄え、文化人の保護にも積極的であったが、今回の落城により城と町並みの大部分が焼失。信長軍による徹底した破壊が行われた模様で、住民の多くは避難を余儀なくされている。

一連の戦で、朝倉一族や重臣の大半も討死または自刃しており、越前における朝倉政権の再興は困難と見られている。

これにより、織田信長は越前の実効支配を確立。北陸方面における影響力をさらに強める形となった。

— RekisyNews 政局面 【1573年】

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