【サンクトペテルブルク 3月23日】
ロシア帝国の皇帝パーヴェル1世が、建設されたばかりのミハイロフ宮殿内において、近衛将校らの一団によって暗殺された。専制的な政治手法と気まぐれな外交政策により、貴族や軍部に深刻な反発を招いていたことが悲劇の背景にあると見られる。
パーヴェル1世は即位以来、母エカチェリーナ大帝の政策を徹底して否定。プロイセン流の過酷な軍紀を強制し、貴族の特権を次々と剥奪した。さらに外交面でも、イギリスとの同盟を破棄してナポレオンに急接近するなど予測不能な行動が続き、帝国は国内外で孤立を深めていた。暗殺決行時、ベニグセン将軍ら率いる謀反人たちは皇帝の寝室に侵入。退位文書への署名を拒んだ皇帝に対し、実力行使に及んだという。
この急逝を受け、皇太子アレクサンドル1世が直ちに即位を宣言した。新皇帝は、国内の混乱を鎮めるため、祖母エカチェリーナ時代のような開明的な統治への回帰を約束。軍や貴族との融和を図る姿勢を見せている。ヨーロッパ全土がナポレオン戦争の動乱にさらされる中、北方の大国ロシアの舵取りが「反英」から「親英」へと劇的に旋回する可能性が浮上しており、各国の外交官たちは新政権の動向を注視している。
— RekisyNews 社会面 【1801年】
