【名古屋 8月30日】
戦後初の国産旅客機として開発が進められてきた双発プロペラ機「YS-11」が、本日午前9時40分、名古屋空港を離陸し、約1時間の試験飛行を無事成功させた。航空産業の再建を目指す日本にとって、戦後航空機開発の大きな節目となる一日となった。
YS-11は、政府の主導で1957年に発足した日本航空機製造(NAMC)が中心となって開発した座席数64席の中型旅客機。戦後、航空機の製造を禁止されていた日本にとって、17年ぶりとなる本格的な旅客機開発の成果であり、航空産業界では「国産技術復活の象徴」として注目されていた。
初飛行は、名古屋空港から浜名湖上空を経由するルートで行われ、総飛行距離は約300キロ。試験飛行を担当したベテランパイロット杉山元氏は、着陸後の会見で「操縦性は極めて安定しており、予想以上の性能を確認できた」と笑顔で語った。
名古屋空港では、関係者や地元住民ら約3,000人が見守る中、YS-11が力強く滑走路を駆け抜けると、大きなどよめきと歓声が沸き起こった。航空機製造に再び挑戦する日本の技術者たちにとって、この瞬間は長年の努力が実を結んだ証でもある。
YS-11は今後、さらに約200回に及ぶ試験飛行を経て安全性と性能の確認が進められる予定で、国内航空路線への実用化は1964年を目指す。日本が再び空の産業で世界と競う日が近づきつつある。
空を切り裂く銀翼は、戦後の日本が失った夢と技術を取り戻す象徴として、未来への第一歩を力強く踏み出した。
— RekisyNews 経済・科学技術面 【1962年】